『昔の僕は』
※ダーク内容につき注意!
みゃお、みゃお……。少しか細い声で鳴く子猫を抱いて、僕はとある施設に案内された。ふいに見回すと、そこには同じ服を着ている人々が整然と研究らしきことをしている。
「ドクター、こちらです。この子はお預かりしますので。」
そう言って、僕から子猫を取りあげてしまう。少しだけじたばたと前足をばたつかせて、そのまま別の研究員に連れ去られて今来た道を戻っていく。いったい彼はどこに行ってしまうのだろうか。そのころは漠然と疑問に思っただけだった。
数か月が経ち、僕もこの施設に慣れてきた。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に同じ机に向ってひたすら計算をこなす。そして同じ時間に休憩して最低限の健康を保つために監視役を兼ねている職員と散歩をしたりテニスをしたり。同じ時間に仕事が終わって同じ時間に眠りにつかせられる。最初はなかなか寝付けなくて困っていたが、そのうち頭脳の疲労によって同じ時間だけ眠れるようになってしまうようになっていった。
ある日、僕たちはいつも使う散歩道が工事中で通れないということだったので別の道を通っていた。遠くから……犬の声や猫の声が聞こえた気がした。ここはどこなのか、監視役に尋ねてみる。彼の答はただの一言、『別の研究を行っている施設』とだけ。近くに石碑らしきものが建ってはいたが、その時はたいして気にも留めなかず、そのままテニスコートに向かって歩き出した。
ある夜、なぜか夢の中にあの子猫の姿が甦る。普段は疲れてしまって夢らしきものは見ていないのに、その時だけはなぜか鮮やかで。少し胸騒ぎがしたのか、飛び起きるといつもの何もない僕の部屋の中。寝汗をかいたようで、背中に汗をかいているのが気持ち悪い。僕は予備のパジャマに着替えてもう一度眠る。でもまた同じ夢を見る。気のせいか掌の中にぬくもりと重さを感じた。不思議だ……、だけど、僕に何かを訴えかけていたような目をしていた。もしかして、あの子猫は……。僕は監視の目を盗んであの施設のそばに駈けていった。
見てはいけないものを見てしまった。そこにはあの猫と同じ柄の抜け殻があって、石碑のそばに埋められようとしている。僕はとっさに思い出した。何に使うかわからない計算式の一部が、新薬の研究にも使われていることを。そしてその実験として動物たちを使っているらしいということを。ああ、僕はなんてことを……。
「ドクター、見てしまったのですね。」 追いかけてきた監視役が冷たく言い放つ。
「あなたの計算のおかげで研究は順調に進んでいます。そして彼らは研究に役立ってくれています、あなたの計算能力とともに。」
なぜか涙が流れなくなってしまっていた。僕は……僕は人間という姿をした計算機なのかもしれない。そんな僕を自嘲気味に笑うのが、今できる僕のかすかに残っている心の部分で。地平線のほんの少し上に浮かぶ三日月がまるで死神の鎌のように冷たく光を放つ。僕の心を狩るのはいったいいつのことだろうか。僕は……どうすればいい?
(終わり)
若王子先生、研究所時代のイメージです。
こうしてだんだん、人間を信じられなくなっていくのかも?
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