蒼い月の下で 本文へジャンプ
『煙火』
これでもう何日雨が降り続いているんだろう?
もう8月だというのに、ギラギラした暑い太陽ではなく、どんよりした曇りか、もしくは雨。
世間では、学生が夏休みなのだから教師もヒマなんだろうと思われているようだが、それはまったく誤った考えである。1学期末の考査の結果に基づく補習、部活動の指導、もちろん2学期に向けての準備。ただ、学校に来る生徒たちが気のせいか覇気を感じにくい気がするのはこの気候のせいかもしれない。いつものように朝食をとり、いつものように学校に向かう。違うとしたら、学生の数が普段より少ないといったところか?
「おはようございます、氷室先生!」
「おはよう。」
氷室学級のエースであり、吹奏楽部でも私をサポートしてくれる彼女が私の姿を認めて走り寄ってくる。3年生は今度の合宿で引退の予定だが、今年は彼女を含めて何人かの生徒がそのまま文化祭まで参加したいと申し出ていた。
「……本当に良かったのか?君の将来がかかっているこの時期に。」
「大丈夫ですよ!私は……。」
そう、彼女は氷室学級のエースにして、学年1位を2年からずっと守り続けている。入学当初はどうなることかとヒヤヒヤしていた。
「……了解した。ただ、本当に無理はしないでくれ。」
頑張り屋の彼女は、一度だけ寝込んでしまったことがある。
「大丈夫ですって!……じゃあ、調べ物をしたいので図書室に寄ってから、部活に参加しますね。」
後ろ姿を見送って、私は職員室に入る。
休暇を取っている教師もいるので、普段よりは若干少ない。
「氷室先生、ちょっとお願いが……。」
同僚の本多先生より、小声で話しかけられる。
「実は今度の週末の校外指導、代わっていただきたいのですが。」
「どうしました?」
「いや、実はうちのバスケ部が急きょ、その日に遠征することになってしまいまして。
「なるほど、そういうことならいいでしょう。ではその次の週と交代ということで。」
「ありがとうございます!」
職員室には似つかわしくない大声で礼を言われたので、周囲の教師たちがこちらを注目している。
「す、すみません……。では、お願いします。」
本多先生は今から指導だろうか、そそくさと席を立って職員室を出ていく。

「今度の週末?ヒマ、だよ。」
「花火大会に行こうよ!誰か誘うからさ。」
なっちんが私を見つけて声をかけてきた。花火大会、か。いいなあ。
「で、誰を?」
「うーん、それが悩みどころなんだよねー。でも、期待しててよ!」
期待って、言われてもね。私が一緒に見たいと思っている人はきっとこう言うだろう。
「……無理だな。まずその前に両親から外出許可をもらってきなさい。」
まあ、仕方ないか。もしも一緒に見ることができるとしたら、それは校外指導で捕まっているとかなんだろう。一人苦笑してしまう。
「じゃあ。私、今日当番なんだ!」
なっちんは風のように走り去っていく。誰かと一緒なら、浴衣の方がいいのかな。そんなことを考えていた。
「いけない!もうこんな時間だ。」
慌てて音楽室に走って行く。……氷室先生、怒っているかなあ。ちょっと不安になりながら。

「遅いよー。」
ふくれっ面のなっちんに手を合わせて謝る。
「ごめんごめん。浴衣を着てたら時間がかかっちゃって。……で、結局来たのが?」
「なんやー、俺だっていうのが不満なんか、自分。」
結局、誘えたのは姫条くんだけだったんだ。
「アンタはヒマそうだから大丈夫でしょ。さ、いこいこ!早く場所取りしにいこ、こんなアホ放っといて。」
相変わらず、この二人は面白いなあ。以前に「夫婦漫才みたい」って言ったら、二人で全力で否定されたんだっけ?

さすがに花火大会はすごい人だかりで、油断するとはぐれちゃいそう。……あれ、あの背の高い人、どこかで?
「げ、ヒムロッチ!見つからないようにしないとうるさそうっ!」
なっちんが目ざとく、花火大会でもいつものスーツ姿を見つけた。
「まさか、デート?だと面白いんだけどなー。」
そう言って先生の視界に入らないように近づいていく。
「待ってよ!はぐれちゃうよー!」
私の抗議の声も、なっちんの好奇心には勝てないらしい。そうこうしているうちに本当にはぐれてしまった。
「……携帯、かけてみよう。」
……つながらない。そうだよね。こんなに混んでいるんだもの。念のため、メールだけ打っておこう。

 花火大会は本当に久々だ。どこからこんなに人が来るのか、不思議に思うほど混雑している。この中で、我がはば学生を探し出し早く帰宅するようにと伝える、難しいが私ならできるはずだ。こういうときは長身であって良かったとつくづく思う。……人ごみの中、気のせいか知った声が聞こえた気がした。
「あれ?氷室……先生?」
少し小首をかしげて、俺の方を見ている。
「……どうした?もう帰宅時間だぞ。」
なぜ、君がここにいる?浴衣、ということはまさか一人ではないだろう。
「いえ、今日はちゃんと両親に許可ももらっていますし、藤井さんと姫条くんも一緒だったんですけれど。迷子になっちゃって。」
藤井に……姫条?
「……まったく君は。迷子になったとは小学生レベルか?」
普段と違う姿に面食らう。……君は、高校生だ。私の教え子なんだ。

わ、怒られる!そう思った次の瞬間、意外な言葉を投げかけられた。
「し、仕方ない。私のそばにいなさい。」
あれ?微妙に言葉が上ずっている?
「いいんですか?」
「この状況で移動する気か?」
あ、元に戻っている。たしかに周りはもう動けないほどの人だかり。
「そう、ですね。」
「それに……浴衣、か。動きにくいだろう?」
「すみません……。」
私を守るように後ろに立っていてくれているので先生の表情はわからない。
「私は高校生がこのような服装をするのはどうかと思……。」
何かを氷室先生が言おうとした瞬間、打ち上げ花火が始まった。
「花火がどうしてさまざまな色を出せるのか、わかるか?」
「……たしか、金属の炎色反応で変わるんですよね。」
「おもにアルカリ金属・アルカリ土類金属によるものだ。……次、上がるぞ。」
次々と上がる打ち上げ花火に言葉を失う。……こんな形とはいえ、一緒に見たかった人と花火を見られるとは思わなかった。

どうして君はあの時、俺を見つけた?他の生徒なら有無を言わさずに帰宅させていただろう。しかし、君は浴衣を着て、一人で俺の前に現れた。……今、思うとそれは口実かもしれない。高校生が華美な服装をすることはよしとは思わないが、君には似合うようだ。 花火は様々な色を作りだす。炎色反応の組み合わせでその色は無限の広がりを見せていく。赤を出すには第1族元素でありアルカリ金属の一種であるリチウム、第2族元素でありアルカリ土類金属のストロンチウムで紫。そんな理屈よりも美しいものが目の前にある。花火に浮かぶ君の横顔、まさかこんな形で君と花火を見ることになるとは。
「あー!いた!!」
打ち上げ花火が終わって人々が散っていく最中、藤井の声が聞こえてきた。
「ごめんね!メール打ったんだけど。」
人波をかき分けるように藤井と姫条がこちらに向かってくる。
「探したんやでー。って、げ。」
苦虫をかみつぶしたような表情で
「……げ、じゃないだろう?今何時か知っているはずだが?」
「せやけど先生も花火を見に来はったんやろ?」
「……校外指導、だ。今も注意していたところだ。」
「先生、花火大会くらい大目に見て……。」
「だめだ。お前ら3人は花火についてのレポート10枚、夏期休暇の課題に追加だ。」
「は、はい……。」
「分かったらさっさと帰りなさい!」

「去年は花火大会で迷子になっていたな。」
今年も花火大会に来ている。ただ、去年とは違うのは……。
「しかし、よく俺のサイズがあったものだ。」
少し苦笑いする、浴衣姿の零一さんが隣にいること。なんでも、今年も他の先生に校外指導を代わってほしいと頼まれたそうだけれど、断わったって言ってた。
「でも、本当に断ってよかったのですか?」
「……俺にとってこの方が大切なことだ。」
まだ熱気を帯びた空気が夕暮れ時を支配する。少しづつ、赤から濃紺に変わっていく空。花火大会の開催を知らせる空砲が時折鳴り響く。
「まさか、零一さんから花火に誘われるとは思ってませんでした。しかも、両親の許可まで一緒にもらってくれるなんて。」
「当たり前だ。去年のことが忘れられなかったからな。それに……。」
暗くて表情はよく見えないけれど、きっと真赤なんだろうなあ。
「すごくきれいだ。」
私にしか聞こえないくらいの声でささやく。
「零一さんもすごく似合います。……あ、始まりましたね。」
夜空には大輪の花。開くたびに周囲からは感嘆の声。……一緒に来れて、本当によかった。来年も、再来年も、これからもずっと一緒にいてくれますよね?


氷室先生と花火、見に行きたかったなあ……。そう思いながら作ったSSです。
なんで両先生には浴衣スチルがないんでしょう、573さま?
絶対に似合うと思うんですけど、ねえ。