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『都の香りは?』
そういえば、自由行動どうしようかなあ……。約束、しておくんだった。考え事をしながら、エレベーターを降りる。と、同時に何かにぶつかった。……このホワイトムスクの香り、もしかして?
「ちゃんと前を見て降りなさい。」
あ、やっぱり。氷室先生だ。
「氷室先生、すみません!」
慌てて謝る私にいつもの冷静な声で、
「君はまたぼんやりしてたのか?……そういえば、自由行動の計画表を提出していないのは君だけだ。」
うっ、そう言えば……そんな用紙があったような気が。慌てて頭を下げる私に、追い討ちをかけるように一言。
「ならば、私と一緒に回りなさい。」
「一緒にですか?」
「嫌ならそれでもかまわない。教師と一緒に自由行動をとっても面白くないだろう。」
実は……もしも氷室先生がいたらできれば一緒に回りたいと思っていた。
「いいんですか!ぜひ、お願いします!」
私が思わず大声を出すから、氷室先生は面食らったようで
「わ、分かったから……。そんなに大声を出すんじゃない。10分後に出発する。表通りで待っていなさい。」
少し声が上ずってるけれど、いつもの氷室先生だ。私は内心ガッツポーズをしながら、ホテルの外の通りで先生を待つことにした。
「まだ生徒が残っていたので遅くなった。では、出発する。」
10分後ではなく、実際には15分後に先生は現れた。……レンタカーで。普段先生の乗っているマサラティは左ハンドルのクーペだけど、今日は国産車だから、普段とは違う方角から先生の横顔を見ることになる。
「うん、何か用か?」
「いいえ、新鮮な感じだなあと思って。」
「あ、あまり見ないように。……では、出発する。」
エンジン音がほとんどしないハイブリッドカー特有の加速に戸惑うようで、苦虫をかみつぶしたようにしている先生も新鮮だ。……修学旅行、いいことがありそう。
混雑する市内を抜けて、郊外へと滑るように走っていく。車内からはときおり、同じ制服を着た集団を見かけるたびに、ほんの少しの罪悪感と優越感を感じる。今、私は氷室先生を独占している。車内に漂うかすかなムスクの香りがその事実を強く印象付ける。
「さて、本日向かう先についてだが……。」
よどみない説明を聞いていると、もしかしたら何度も誰かと来た場所なんだろうかと想像してしまう。
「うん?ちゃんと聞いているのか?」
信号で止まった時に横目でじろりと見られると、少し冷汗が出る。
「たしか……、銀閣寺へ行くんですよね?」
「……東山慈照寺、通称銀閣だ。銀閣寺というのは足利義政が造営した楼閣建築である観音殿、すなわち「銀閣」を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称する。」
「は、はぁ。」
「……はぁじゃないだろう。修学旅行から帰ったら今回の見学に関してレポートを提出するように。」
あ、やっぱりレポート提出なんだ。私はがっかりしたのを勘ぐられないように気をつけながら、返事をする。
「そういえば、氷室先生。金閣には金箔が貼られているのに、銀閣には
貼られていないんですね。」
少し先を歩く、背の高いスーツ姿に質問する。
「諸説あるのだが、慈照寺の庭園には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くしていること、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いようだ。実際に科学的調査を行っても、銀箔は全く検出されなかった。」
「そうなんですね。銀箔を貼る予定だったのにその前に義政が他界したためとか、予算がなかったとか、貼っていたものが剥がれたと思ってました。」
不意に立ち止まって、こちらを振り向く。
「実際には諸説あるようだ。こういったことを調べて知識を深めるのもよいだろう。……では、次に行くぞ。」
一瞬ほほ笑んだ気がしたけれど、それはすぐに元の仮面のような表情に戻ってしまう。
「わぁ、きれいですね。」
銀閣を出てすぐの哲学の道を歩く。ここが紅葉するときれいなんだろうなあ。琵琶湖疏水の両岸には桜並木が続いている。
「関雪桜、という。日本画家の橋本関雪の夫人が大正年間に桜の苗木を寄贈したのが始まりだ。」
やっぱり氷室先生、詳しい。誰かと来たことがあるのかな?
「……いつか、だ。」
先生がぽつりと告げる。
「桜の季節か紅葉の季節に……来るか?」
「私と、ですか?」
「……他に誰かいるのか?」
あたりはしんと静まり返る。さっき他の観光客の人たちとすれ違ったけれど、もう姿は見えない。
「来たい、です。先生と。」
風が流れて、葉音がさらさら流れる。日が傾いてほんのり赤く色づく景色の中。……先生、真っ赤だ。あ、私もか。先生が何かを言おうとしたけれど、風の音にかき消される。
「先生?」
「……急ぎなさい。早くしないと門限に間に合わない可能性がある。」
風が冷えて来た。慌てて車に向かいながら、心の中でこうつぶやく。
―――先生、約束ですよ。卒業したら、桜を見に来ましょう。
(終わり)
注:SS内の銀閣・哲学の道に関する内容はwikiから引用しました。
氷室先生のとき修って、GS2をやってからだとなんかさびしいものが(泣)
そんなわけで作ったSSです。
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